"715 :なまえをいれてください:2011/07/14(木) 00:42:20.38 ID:YT2O/0uK
中学の時眼帯を常に装着していて
「なんでいつも眼帯してるの?」って聞かれても
「あぁ・・昔・・な」っといつも言ってってある日
眼帯してるほうが急激に視力が落ちたから眼帯する目を変えたら
DQNに「お前眼帯してた目なんともないじゃんwwwどうせ今の方もなんともないんだろwww」
と強引に眼帯を外され「やっぱなんともないじゃんwww」ってクラスの前で公開されて恥ずかしくなって
「お前等・・・見るんじゃないぞ・・・死ぬぞ・・」って言いつつマジで泣いちゃう5秒前だったから
「しかたない封印しか・・・・・」って言ってもう一つの眼帯使って両目に眼帯して泣いてた"
"誰だか思い出せないのだが、ある高名な作家がこう書いていた。クモやゲジゲジなどの他愛ないものを人が怖がるのは、本当に怖いものを怖がらないようにするためなのだと。つまり、人間が感受できる恐怖の総量には限りがあって、水槽に水を充満させればそれ以上注いでも溢れるしかないように、クモやゲジゲジで脳内の恐怖感受槽とでもいうべきタンクを満タンにしておけば、もはや余計な恐怖に悩まされることはない。かくて他愛ないものへの恐怖は、健やかな日常生活を送るのに欠かせない心理的安全弁だというのである。"
"「汚れつちまつた悲しみに……」は、中也の恋愛詩の絶唱ともいうべき一篇で、律調には北原白秋風の律呂がある。若き日の清純な息吹の中では、悲しみさえ も美しいハーモニーになるが、少年の日すでに女と同棲し、酒に溺れた中也の悲しみは、振り返ると「汚れつちまつた」という深い悔恨となって吐き出される。 慈愛深い両親には嘘言で金をせびり、永遠の受験生としての世間的な劣等感が心内にわだかまり、人に弱みを気づかせまいとする衒いが嫌がらせになった。事に 泰子の失踪以来、狐の皮裘のような貴重なものが汚され果て、「倦怠のうちに死を夢む」ということになる。この哀歌は、妻マチルドを失った時のヴェルレーヌ の悔恨と悲嘆に通ずるもので、ヴェルレーヌの「巷に雨の降るごとく」の日本版のような哀調が漂っている。
小林秀雄のことばを引こう。
「中原の心の中には、実に深い悲しみがあって、それは彼自身の手にも余るものであったと私は思っている。彼の驚くべき天資も、これを手なずけるに足りな かった。(略)彼は、この不安をよく知っていた。それが彼の本質的な抒情詩の全骨格をなす。(略)彼は、自己を防禦する術をまるで知らなかった。世間を渡 るとは一種の事故隠蔽術に他ならないのだが、彼には自分の一番秘密なものを人々と分かちたい欲求だけが強かった。その不可能と愚かさを聡明な彼はよく知っ ていたが、どうにもならぬ力が彼を押していたのだと思う。人々の談笑の中に、『悲しい男』が現れ、双方が傷ついた。善意ある人々の心に嫌悪が生まれ、彼の 優しい魂の中に怒りが生じた。彼は一人になり、救いを悔恨のうちに求める。汚れっちまった悲しみに……これが、彼の変わらぬ詩の動機だ、終わりのない畳句 だ」
(「中原中也の思ひ出」)
昭和九年『紀元』一月号に発表。"
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